2022年度 東洋史部会発表要旨 
 

一、『皇越律例』の民間における受容について越訳抄本の紹介

慶應義塾大学 嶋尾稔

『皇越律例』はベトナム阮朝が嘉隆一二年(一八一三)に『大清律例』に依拠して作成した法典である(総裁阮文誠)。黎朝期の『国朝刑律』がベトナムの土着法の痕跡を残すことから国内でも多数の研究がなされてきた(八尾隆生編、二〇二〇『大越黎朝国朝刑律』参照)のに対して、『大清律例』のほぼ引き写しである『皇越律例』については殆ど国内では研究がなされて来なかった。本報告では中国法そのものである『皇越律例』がベトナム社会にどのように受容されたかを考察する手がかりとして、慶應義塾大学斯道文庫が所蔵するエミール・ガスパルドヌ旧蔵本中の『條律』なる資料を紹介する。この資料は上段に『皇越律例』の漢文条文を抜粋し、下段にそのベトナム語訳を字喃で記したものである。両者の異同などについて基礎的な検討を行う。なお、本発表は慶應義塾大学言語文化研究所の共同研究プロジェクト(「漢喃資料研究会」)の中間報告である。

 

二、国民党上海市党部宣伝部の組織構成―南京国民政府初期を対象として―

広島大学 陳思斉

一九二七年四月一八日に南京国民政府が成立し、国民党左派と共産党を排除した上海市党部が活動を開始した。政権を握る国民党は組織結束の強化を求め、影響力を社会の基層まで浸透させようとしたが、とりわけ重視されたのが宣伝部の役割である。本報告では、上海市党部宣伝部の役割を解明するため、まずその組織構成を明らかにしたい。
宣伝部は租界の存在、輿論の中心、映画産業の発達など上海の特殊性によって、独自な性格を持っていたといえる。また、党政関係において弱体化しつつあったほかの地方党部と異なり、上海市党部は一九二七年から一九三一年まで市政府に対し一定の優位を保っていた。宣伝部は指導科、編審科、総務科により構成され、さらに政府機構と連携して電影審査委員会、郵件検査処や査禁反動刊行物委員会などの機関を有し、社会統制の上でも重要な役割を担っていた。


三、近代中国における「新聞学」の展開と日本―任白濤と日本「新聞学」―

広島大学 陶一然

本報告の目的は、任白濤という人物に焦点を当て、彼の「新聞学」の探求と日本「新聞学」との関係を考察することにある。任白濤(一八九〇―一九五二)は戦前・戦中の中国「新聞学」を代表する専門家の一人である。一九一〇年代の中国では、都市部の人口増加とともに、紙媒体のメディアの購読者も増え、新聞業界は活気に溢れた。多くの若者は新聞事業に興味を持ち、新聞紙、新聞業界を対象とする学問―「新聞学」を学びはじめた。
当時、中国「新聞学」の学知のほとんどは海外から輸入されたものであり、とりわけ日本から輸入されたものが最も多かった。一九一〇年代から一九三〇年代にかけて、中国の若者は「新聞学」の学知を求めるために日本に渡った。一九一六年に渡日した任白濤はその先駆者である。任が学んだ日本「新聞学」はどのようなものだったのか。そして、任は日本「新聞学」に対し、どのような取捨選択し受容したのか。本報告は、これらの点を具体的に分析する。


 

四、太岳抗日根拠地における群衆英雄運動―前線根拠地における英雄の表象
       
広島大学 李芸

中国共産党はソ連のスタハノフ運動に倣って、抗日根拠地において労働英雄運動を展開していた。従来の研究では、労働英雄運動の社会改造における役割、基層幹部との関係などが検討されたが、各根拠地における運動の特徴が明確にされていない。本報告では、前線の太岳根拠地の群衆英雄運動を分析し、その特徴を明らかにしたい。太岳根拠地では、一九四〇年以降の根拠地の危機に際して、女性や児童も含む労働英雄の表彰と、民兵による抗日英雄運動が展開され全民抗戦が提唱された。一九四四年以降、陝甘寧辺区の労働英雄運動の手法を導入されたが、独自の特徴も維持された。また、太岳根拠地で展開された、抗属、栄誉軍人といった弱者の模範、革命の模範を奨励する運動方式は、共和国の労働模範の運動にも継承されている。このような継承関係は、延安大生産運動以前の前線の根拠地の経験も含む労働英雄運動の全体像を捉えることで理解することができるのである。


 


五、ウイグルからモンゴルに至る諸帝国の首都・拠点とその移動圏の変遷

広島大学 舩田善之

報告者は、いわゆる「中華帝国」の首都の立地についての妹尾達彦の議論を出発点として、ウイグル帝国からモンゴル帝国に至る諸帝国の首都を含む拠点とその移動圏が次のような変遷を経ていることに注目し、その要因について基礎的な見直しを①オルホン渓谷(ウイグル)。②シラムレン・ラオハムレン流域(キタイ)。③シラムレン・ラオハムレン流域と松花江上流域(キタイ後期からジュルチェン前期)。④中都(北京)・金蓮川一帯(ジュルチェン中後期)。⑤トーラ川・ケルレン川流域(チンギス・カン期)。⑥オルホン渓谷(オゴデイ〜モンケ期)。⑦大都(北京)・金蓮川一帯(クビライ期以降)。本報告では、この変遷の歴史的背景を論じるとともに、これら諸帝国の拠点とその移動圏がいずれも複数の水系の流域を包摂していることに注目し、その軍事的拡大と政治的安定のメカニズムを考察する。